鋼橋メンテ一筋20年
――ずっと日本エンジニアリングでお勤めですか?
政門さん いえ、大学(土木)卒業後、1998年にまず株式会社テクニブリッジに入社しました。テクニブリッジは、鋼橋などのメンテナンスを行う会社で、日本鋼管株式会社(NKK)、現在のJFEエンジニアリング株式会社のグループ会社でした。
7年間で、5年間は現場監督をやって、あとの2年間は積算などをやりました。ところが、「メンテナンスの仕事は儲からない」ということで、テクニブリッジをたたむことになりました。それで、2005年にNEKに移ったわけです。設計に携わるのは初めてでした。
テクニブリッジからは、私を含め4名がNEKに移ったのですが、新たに保全技術部(現構造技術部保全技術室)という部署をつくってもらい、その4名で事業を立ち上げました。私は当時29歳で、他のメンバーはみんな私より年下の人間でした。保全技術部では、首都高速道路の点検、メンテンナンス設計を中心に仕事をしてきました。
テクニブリッジで現場工事のノウハウがあったので、それが普通の建設コンサルタントにはない武器でした。構造物に損傷があれば、実際に見に行き、どうやって治すかを含めた提案をしました。それを首都高グループから評価していただき、次々と仕事をいただけるようになりました。
NEKでも、それに応じて構造技術部(メンテナンス部隊(保全技術室)、点検部隊(構造調査室)、新設橋梁部隊(橋梁設計室)、港湾部隊(港湾技術室))の統合もあり、人員を増やしてきました。点検・メンテナンス部隊は今年で14年目になりますが、今では構造技術部43名のうち、26名の部員がいます。
当初は首都高の西の仕事だけでしたが、今は首都高全域の仕事を手掛けています。ここ7年ぐらいは、首都高速道路本体から直接仕事を受注するようになっています。現在の構造技術部保全技術室の仕事の内訳は、だいたい首都高速道路本体からの仕事が50%、首都高グループ会社の仕事が50%になっています。
今までのキャリアでは、橋のメンテナンスしかやっていません。補修と耐震補強がメインで、たまに新設の仕事もやりました。前の会社も含め、とにかく橋の仕事が楽しかったので、他の仕事をやりたいとは思わず、ずっと橋一本でやってきた感じですね。
既存のNo.1ではなく、理想のNo.1を目指せ
――楽しいと言いますと?
政門さん やはりいろいろな人と出会っていく中で、自分が成長できるからですね。例えば、首都高技術株式会社に永田佳文さんという方がいらっしゃるのですが、永田さんにはいろいろ教えていただきました。永田さんに出会ったことで、自分が著しく成長した実感があります。非常に感謝しています。
――永田さんから教わったことは?
政門さん 5年ほど前、首都高の壊れた構造物を治していたときに、永田さんから「もっと塗りやすい塗料で治せないか?」と言われました。橋に塗る塗料(ペンキ)の性能に関するお話でした。通常の塗料は、塗るのに時間がかかるし、厚く塗るためには何度も塗らなければなりません。既存の塗料の中には、1回で塗れる塗料はありましたが、粘土みたいで塗りにくいんです。
そこで、既存の技術を調べ、その中でNo.1の塗料を提案しました。すると、永田さんから「いや、それは違うでしょ」と言われたんです。「確かにこの塗料は既存の技術の中ではNo.1だけど、理想はもっと上にあるじゃないですか。なんでもっと良い塗料をつくらないんですか」と。
私は「でも、私はコンサルタントで、塗料をつくるメーカーではないんです」と言うと、永田さんは「だったら、みんなで一緒につくれば良いんじゃないの」「そうしないと、技術は進歩しないよ」「実際に塗料をつくるのはメーカーだけど、要求事項の設定はこっちでいくらでもできるじゃないですか」とおっしゃいました。
そして、「場所はいくらでも提供します。失敗しても良いからチャレンジしましょう」とおっしゃったんです。
――なかなか熱いやりとりですね。
政門さん そう言われ、私は「塗料を改良しよう!」とメーカーにかけ合いました。試行錯誤の末、3ヶ月後に塗りやすい塗料ができちゃったんです。それを永田さんに伝えたら、「素晴らしい。この塗料こそがウチが求めるNo. 1の塗料だ」と喜んでいただきました。
この塗料は首都高などと共同で特許出願も実現しました。今では首都高以外でも多く使用されています。ちなみに、NEKでは、これ以降、1件の特許を取得してるほか、5件特許出願中です。
「ベストな技術がない場合はベストな技術をつくる。その技術は世のため人のために直結する」。そういうことを永田さんから教わりました。
本物のコンサルタントとは何かを教えてもらっているように思う。