本質的な議論ができず「精神的に疲弊」
――もともとは、どのような仕事を?
真鍋社長 PC構造物建設専業者には23年ほど在籍しました。最初の配属先は技術部設計課で、最初の10年ぐらいは、自分で設計をした後、現場に出て施工もやるということを繰り返していました。
その後はずっと設計にいました。まだまだ新設の仕事が多い時期で、休みがとれないほど忙しかったです。
昔は営業設計という仕事があって、本来設計すべき業者に代わり、専業者が上部工の詳細設計を担っていた時代が長く続いていました。しかし今から約10数年前には、受注コンプライアンス上の問題から営業設計がなくなりました。
ちょうど公共投資が減り始め、入札競争が厳しさを増し始めたころで、会社は設計人員の削減などのリストラを始めました。人も仕事もどんどん減り続けていったわけです。
そんな中、PC専業者はこれからは維持管理に力を入れようとし始めましたが、なかなかお金が合わないということで苦労していました。
私自身、PC橋梁の補修・補強の件で、役所などの道路管理者に協力を要請されたことが多々ありました。しかし、いちPC専業者の技術者の立場では様々な柵があり、本質的な議論ができませんでした。
非常にもどかしさを痛感するとともに、「精神的に疲弊した」のを覚えています。
――なぜ自分で会社を立ち上げようと思ったのですか?
真鍋社長 PC橋梁などの設計ができ維持管理に精通する技術者は、全国的に数が少ない。その理由はよくわかりませんが、PC工学を教えていない大学があること、PC専業者における設計技術者の位置づけ、また営業設計を行っていた時代の弊害により、コンサルタントの中にPCの本質のわかる人員が多くないこと、などが考えられます。
そういう状況を見ているうちに、「PCの維持管理を専門とするコンサルタント会社がつくれそうだ」と考えるようになったわけです。
それで会社を辞めることにしたわけですが、ちょうどその頃は建設業界の景気が非常に悪かったので、新たに会社をつくるにはタイミングが良くありませんでした。
そこで、コンクリート構造物の点検・調査の実務行うコンサルタント会社に転職することとし、今までにない視点で学ぶ決意をしました。
私のほか、同じPC設計セクションでやってきた2人の技術者と一緒に入社しました。入社後、3人で構造設計部を立ち上げ、調査・診断の仕事を覚えていきました。
あと、中小企業の経営ノウハウも学ぶことができました。5年間ほど勤めた後、満を持して自分の会社をつくることにしたわけです。