河川生態学を学ぶ学生にグループインタビューしてきた
前回、熊本大学で河川生態学を研究する皆川朋子先生の記事を出した。その皆川先生の教え子であり、現在河川/流域研究室に所属する学生さんのうち6名に取材する機会を得た。
なぜ土木(河川生態学)を学んでいるのか、なにを研究しているのか、将来どんな自分になりたいかなどについて、話を聞いてきた。オブザーバーとして、皆川先生にも参加してもらった。

大内 憲人(おおうち あきと)さん D1:博士課程1年

鹿児島 昂大(かごしま こうだい)さん M2:修士課程2年

山中 綾乃(やまなか あやの)さん M2:修士課程2年

冨重 幹太(とみしげ かんた)さん M2:修士課程2年

津田 拓海(つだ たくみ)さん M1:修士課程1年

新垣 俊介(あらかき しゅんすけ)さん M1:修士課程1年
――まずは、自己紹介をお願いします。
大内さん 出身は千葉県です。学部生として熊本大学に入学して、現在博士課程に在籍しています。研究テーマは、球磨川の支川を対象とした流出と浸透の特性に関する研究をしています。
鹿児島さん 福岡県出身です。私も学部からずっと熊本大学で、現在修士課程に在籍しています。田んぼダムの治水対策に関する研究を行っています。
山中さん 私は長崎県出身で、大学1年生から熊本大学で勉強しています。研究テーマは、阿蘇市に整備されている遊水池群を対象に、湿地的な環境の調査や維持管理に関する研究などをしています。
冨重さん 出身は宮崎県です。修士課程にいます。平成29年九州北部豪雨における魚類への影響、要因の特定、回復の状況、河川改修による影響について研究しています。
津田さん 福岡県出身です。学部のときから熊本大学で勉強していて、現在修士課程1年です。研究は、4年生までは、令和2年7月豪雨の球磨川を対象に、その被害などについて、シミュレーションを用いて研究していました。今は、前の研究を踏まえて、どういう対策をするべきかについて研究しています。
新垣さん 出身は沖縄県です。学部のころは宮崎大学で学んで、修士課程から熊本大学に来ました。研究は、「さこ(谷/迫)」という谷底の地形にある放棄された水田の再生による流出抑制効果、生物多様性についてです。
「この人スゴいな」と尊敬の念が湧いた
――宮崎大学で土木を選んだ理由はなんだったのですか?
新垣さん 河川が好きだったからです。幼いころから大きなものに興味や憧れをもっていて、飛行機とかビルとかダムとか漠然とそれに関する仕事に憧れがあり、高校時代に将来を考えたときに、「みんなの生活を支えてるってカッコいいな」と思い、土木の道を志しました。
――なぜ皆川研究室を選んだのですか?
新垣さん 学部のころは、ダムの下流で粗粒化した地形に関する研究をしていたのですが、その時の先生が皆川先生とお知り合いで、「ぜひ行ったほうが良い」というおススメがありました。自分なりに調べてみると、「この人スゴいな」と尊敬の念が湧いたので、皆川研究室に来ました。
皮膚科医になる夢と土木がリンク
――熊本大学で土木を学んだ理由はなんだったのですか?
津田さん 高校生のころは、建築士になりたかったんですが、将来のことを考えると、建築士よりも建設会社で働くほうが、仕事の幅が広がって良いんじゃないかなと思って、それで土木の学科を選びました。
冨重さん 高校3年生のときに、熊本地震が起きて、阿蘇大橋が落ちたんです。ボクの祖父母は福岡県に住んでいたので、阿蘇大橋は何度も通った橋でした。なので、橋が落ちたことにけっこう衝撃を受けました。そのときは、どの学科に行くか決めていなかったのですが、橋に関わる学問はなにかなと考えた結果、土木を選びました。
山中さん もともとは皮膚科医になりたかったんです。それで長崎大学の医学部を受けることにしたのですが、センター試験の点数が足りなかったんです。どうしようかなと思っていたら、担任の先生から「大きいものと小さいもの、どちらをつくりたい?」と聞かれたんです。そこで「大きいものですかね」と答えたら、熊本大学の土木系の学科を教えてもらいました。
そこからはなにも考えずに、トントンと決まっていった感じでした。最初は、皮膚科医になりたいという自分の夢とはかけ離れた分野だと思っていたので、1年生のころは後悔したこともありましたけど、いろいろ授業を受けていく中で、人々の安全を守る学問だと知りました。そこで、自分の夢と土木がリンクしたんです。むしろ、土木のほうが多くの人の命や暮らしを守れると思いました。
鹿児島さん 土木に関しては、正直なにも考えていませんでした。学科名が社会環境工学科だったからです。ただ、先輩からは「けっこう幅広いことができるよ」と聞いたので、「じゃあここで良いかな」という感じで選びました。
まちづくりと環境の両方を学びたい
大内さん 建築をやりたくて、関東のとある大学に入学しました。まちづくりに興味があって、そのまちを構成するイッコイッコの建築物をつくりたかったんです。製図とか実践的な授業を受けていたのですが、「あ、自分に建築は合わない」と気づいたんです。建築家以外の職業を考えたとき、もっと大きなまちづくりをしたいとまず思いました。
あと、環境は大事だという考えがありました。東日本大震災の復興の様子を見たときに、環境に配慮した整備がされていないと感じました。建築以外の仕事を考えたときに、そのことを思い出したんです。
そこで、まちづくりと環境の両方を満たせるようなことを学びたいと考えるようになりました。まちづくりは土木なので、土木で環境が入っている大学を片っ端から調べました。いくつかの大学がヒットしたのですが、「どうせ行くなら、知らない土地に行きたい」ということで、熊本大学を選びました。編入という選択肢もあったのですが、「イチから勉強したい」と思ったので、普通に入学試験を受けて1年生として入りました。
コンサルでのインターンがきっかけで、皆川研究室へ
――皆川研究室を選んだ理由はどういうものだったのですか?
大内さん 最初は「まちづくりの研究室かな」と思っていたのですが、大学に入った年に熊本地震が起きました。ボランティアとして活動した後、他学部の学生と一緒にボランティアサークルをつくり、いろいろな地域で活動しました。
活動しているうちに、地域ごとにある川に興味を持つようになりました。子どものころは、江戸川で釣りをしたり、信州の川で泳いだり、川が身近な存在だったというのもありました。
そんなとき、皆川先生の授業を受けて、川と環境ができるのが良いなと思いました。それで皆川研究室に入りました。
鹿児島さん 大学3年のとき、地盤に関する基礎実験をやる機会があって、最初は地盤分野がおもしろそうだと思っていました。その夏に建設コンサルにインターンに行ったところ、そこがたまたま、河川に強い会社だったんです。河川整備計画とか治水に関する仕事を見ているうちに、こういう分野もおもしろそうだなと考えるようになりました。それで皆川研究室に入りました。
山中さん 安心安全なインフラをつくって、人々の暮らしに貢献したいなと思って、土木を学んでいました。ただ、安心安全だけだと楽しくないかなという気持ちもありました。「豊かな暮らし」につなげたいと考えるようになりました。
そんなとき、皆川先生の多自然川づくりなどの研究に触れる機会がありました。私もインターンで建設コンサルに行ったのですが、たまたまそこが河川整備を担当する部署でした。わざと川を氾濫させて、水害からまちを守るという話を聞いて、驚きを覚えたりしているうちに、河川を学びたいと考えるようになりました。それで皆川研究室を選びました。
冨重さん 最初は、橋やまちづくりの研究室のイメージが強かったのですが、実際に授業を受けてみると、いまいちピンとこなかったんです。3年生になって、皆川先生の授業を受けたときに、川づくりによって環境を守る仕事があることを知りました。ボクもインターンで建設コンサルに行ったのですが、そこで川づくりに関する実際の仕事に触れました。それで皆川研究室に行くことにしました。
津田さん 大学に入ったときは、交通系かまちづくり系の研究室に行きたいと考えていました。大学3年生の夏に、球磨川豪雨が起きました。家でテレビを観ながら、「水害を防ぎたい」とずっと考えていたら、河川系の研究をしたいと思うようになりました。zoomで皆川先生の授業を受けたら、これだと思って、研究室に入った感じです。今では、河川系がダントツでおもしろいと感じるようになっています。