友人の総合建設会社へ転職
――学校を出てから、どんな職業に?
オダ 高校を卒業して、就職活動を始めた頃、まず真っ先に選んだ仕事は営業職でした。理由は、営業職は「歩合制」であること。成果をあげたらあげたぶんだけ報酬がもらえることに魅力を感じていたからです。
――様々な歩合制の仕事の中で、営業職を選んだ決め手はなんですか?
オダ 世の中の職種は大きく分けて、製造と販売の2つから仕事は成り立っていると思います。それから枝分かれを作りいろいろな業種が存在しますが、結局のところ「造る」か「売る」で世の中の経済はまわっています。小さい頃から親父の造るを手伝っていた私は、もう一つの売るに対する興味が高かったです。社会人1年目はそんな思いを抱いていましたね。
――営業の仕事は思い描いていたものでしたか?
オダ 最初の営業職は1年で辞めました。それからいろいろな営業職を転々としましたが、どれも長続きはしませんでした。営業の仕事を辞めた理由は、売り上げノルマですね。サービス残業、休日出勤は当たり前、売れるまで帰ってくるなに精神的に辛かったです。
――そこから土木の仕事に行かれたきっかけは?
オダ 20代後半に知り合った友人が総合建設業の社長をしていました。歳も一つ上で、年齢が近いということもあり、よくつるむようになり、それがきっかけで私も土木業界に足を踏み入れることとなりました。
――かなり若い社長さんですね。
オダ 友人は、家系が建設業をずっとやっていて、会社の何代目かの社長でした。親から引き継いだ感じですね。私は親父の造っていく作業しか見ていませんが、友人は造るだけでなく、営業までこなしていました。現場を組み立てていく部分には違和感を感じませんでしたが、頭を下げて仕事をとってきている様子は親父と異なりました。
――どんな業務を担当されましたか。
オダ 最初の3年はほとんどテゴ(注:オダさんの地元の言葉で「手伝い」のこと)ですね。それから営業を引き継ぎ、時には現場監督で作業員の監視と作業工程の段取りを担当するようになりました。
――働き始めてから土木業界に対する印象は変わりましたか?
オダ 私は小さい頃から親父の手伝いで作業をさせられていました。とはいっても体も小さいし、力もありませんからテゴ扱いでほとんど役にはたっていなかったかもしれませんが、土木業界は黙々と作業をするイメージは強かったです。
でも大人になって踏み入れたその業界は、意外に交友関係も広く、だらだらと仕事をするのではなく、決められた時間はしっかりと本腰入れて仕事を行なう職人肌のタイプが多いのだと感じました。オンとオフがしっかりしていて、ここまでやったら、ぱあーと飲みいくぞ的な(笑)