軍艦島に、泳いで渡ろうとした
——出水さんの土木との出会いは?
出水享 小さい頃から、土木に興味があり、将来土木に関する仕事で「世の中の役に立ちたい」という思いがありました。自分としては、技術者でもあり、研究者でもあると思っています。
長崎大学では大学院の修士課程までいて、土木を学びました。その後、建設コンサルタント会社に就職し、福岡市内で勤務していました。建設コンサルタント会社では、主に橋梁を中心としたインフラ構造物の点検・検査および技術開発に従事していました。インフラ構造物を守る仕事をしていたわけです。
——その後、長崎大学に戻ったわけですね。
出水享 ええ。入社4年目のときに、長崎大学で「道守(みちもり)養成ユニット」というプロジェクトが始まりました。このプロジェクトは、長崎県内の道路インフラを守る(維持管理する)技術者を養成するもので、当時全国初の試みでした。
私は、建設コンサルタント会社を辞め、大学の研究員、人を育てる側の人間として、このプロジェクトに参加しました。民間で培った技術を少しでも「長崎のために役に立てたい」と思い、思い切って転職したわけです。
人を育てるだけでなく、自分の研究もしたいと思ったので、プロジェクトに参加するかたわら、大学院の博士課程で研究もしていました。
——軍艦島との出会いは?
出水享 私と軍艦島との出会いは、運命だったと思います。センター試験で失敗して、合格判定が高い長崎大学を受験して進学できたことや、入学直後に軍艦島の近くに住む友達と出会ったことが、運命を引き寄せたのだと思います。
そして、夏にその友達と海水浴に行ったとき、砂浜から見たのが、私と軍艦島の初めての出会いでした。1998年のことです。島のシルエットに度肝を抜かれ、恐怖というか、興奮というか、何ともいえない感情になったことを今でも覚えています。その時から「あの島に上陸したい」と思うようになりました。実際、泳いで行こうとしたのですが、途中で流されて断念しました(笑)。われながら、無謀なチャレンジでした(笑)。
軍艦島は「憧れの島」になりました。その後、社会人になっても、軍艦島への憧れは消えず、社員旅行で軍艦島周遊クルージングを企画したこともあります。しかし、上陸の機会はありませんでした。
大学で働き始めてから、研究をやり始めたので、軍艦島に関係する研究がしたいと思い、構造物の老朽化に関する研究目的で、ついに上陸を果たしました。2011年のことです。
——軍艦島以外の古い構造物にも興味があるんですか?
出水享 興味ありますね。古い構造物というか、先人が残してくれた遺産に興味があります。実は、長崎市民は軍艦島にあまり関心がないんです。近くにいつもあるものは当たり前の存在なので、その価値を感じづらいところがあります。
軍艦島以外にも、多くの近代以降の遺産が全国各地にありますが、地元の人々の関心は薄いところがあります。私はそういう遺産についても、軍艦島と同じように「多くの人に知ってもらいたい」と思っているんです。遺産の中でも、パッと見た時に「ビビッ!」とくるものがあります。
そういう遺産を見つけたときには、ツイッターやインスタグラムなどのSNSに投稿して、拡散することにしています。「ビビッ!」ときた遺産はSNSでかなり拡散するんです。「身近なところに面白いものがあるんだ」と多くの人に感じて欲しいという思いがあります。戦争関連の遺産にも興味があり、こちらも多くの人に伝えたいと思っています。
例えば、広島県の大久野島。戦前に旧日本軍が毒ガスを作っていた島です。また、和歌山県の友ヶ島には、旧日本軍の基地が残っているんです。実際に島に行って、当時からの残る建物などの写真を撮り、SNSで公開しています。この辺は、学術的な観点とは言えないかもしれません。私個人の好奇心によるところが大きいのでしょうね。