リクルートに入社、政治家を目指すも、加和太建設を継ぐ
――河田社長はもともと、家業である建設業に対して、ネガティブなイメージを持っていたようですね。
河田 ええ、そうです。幼少の頃から、父親から「家業を継げ」と言われたことも一度もありませんでした。建設業について父親から教わることもありませんでした。
私も、家業を継ぐ気はまったくなかったですし、むしろ継ぎたくないと思っていました。家業なので、建設業というワードには妙に反応してしまうわけですが、ニュースに出てくる場合は悪い情報が多くて、全然良い産業だとは思えなかったからです。子供の頃は、そんな感じで過ごしていました。
自分が将来何になりたいか決まっていなかったので、それを見つけようと思って、中学を卒業した後、海外に行きました。海外で高校生活を過ごした後、ある決心をして、帰国しました。
――決心とは?
河田 ある小説の一節が心に触れて、「自分を信じて、自分が生きた証を残せる人間になろう」という思いがありました。具体的には「日本の教育システムを変えたい」という思いがあったので、「政治家になろう」と考えたのです。
大学時代も、政治家になる夢を持ち続けました。大学卒業後は、リクルートに就職しましたが、採用面接で「政治家になりたい」と言ったら、「面白いヤツだ」ということで採用になったようです。当時リクルート出身の政治家が何人かいて、「まあ、いいんじゃないの」ということだったらしいです。
リクルートでは営業をやっていました。営業の中で、「会社経営を通じて社会に貢献する」という考えを持った多くの経営者の方々とお会いすることができました。政治家でなくても、「経営者になれば、世の中を変えられる」と考えるようになりました。
「会社経営の勉強をしよう」と思い、リクルートを退職し、三井住友銀行に転職しました。銀行員としては、銀行の考え方や仕組み、それまで知らなかったいろいろな業種についても勉強しました。
――最終的に家業を継ぐことになったきっかけは?
河田 銀行に勤めて1年経った30歳のとき、「自分で会社をやろう」と考え始めました。そのときふと、父親の顔が浮かびました。「今ある自分は父親のおかげだ」という感謝の気持ちが芽生えてきました。
そこで、「まずは親孝行しよう」と、加和太建設に入る決心をしました。「親孝行したい。5年ほど実家に帰る」と父親に電話しました。それで、加和太建設に入社したわけです。
リクルートに勤めていた頃も、銀行に勤めていた頃も、会社の先輩などからは「建設業は斜陽産業だし、地方で建設会社なんかやっても成長の余地なんかない。お前が戻っても仕方がないよ」みたいなことばかり言われました。にも関わらず加和太建設に入ったのは「親孝行がしたかった」から。ただ、それだけでした。
60名弱、普通の中小、、、、
10名弱のうちは零細企業なんだと再確認。笑
すっげ
経営判断は大きい。うちは判断ミスでしくじってる
近くにこういう施工会社があれば転職したいですう
三島周辺を走っていると加和太建設の現場をよく目にする。地域を支えて、企業成長する、良き会社。小さい建設会社が目指すべき方向性を教えてくれる。やはり業界外部の意見が必要。
社長かっこいい
こういうとこなら転職したいけど三島遠いわ
東北にも支店出してくれないかな
自分も同じ境遇で、スケールは小さいながら今までの状況を変えていきたいと考えています。
今がダメではなく、もっと良くなりたいと常に思っております。
まずは、自分が変わり、そして、社員に伝えて会社が変わり、さらには、地域を変えられるようになりたいと考えております。
河田社長の記事をみて、自分も頑張って行こうと思います!
ありがとうございました。
さらなる飛躍期待いたします!
業者を泣かせることで地元では有名ですよ❗
ボンボンには実態が解ってないのが情けないね❗
三島で損害保険の代理店をやらせていただき50年なります最近御社の現場をよく見て関心をもち読ませていただき仕事に対する前向きな態度に感激し微力ながら前向きに頑張らなければと大変は励みになりました
記事ではいくらでもきれいごと言える。8の方が言ってることが実態。おれも地元じゃいい評判の会社に入れたと思ったけど、実態は、ブラックどころか暗黒。隣の芝は何とかってことわざどおり。
毎月80時間以上の残業。
それなのに給料は半分以下しかでない。
遅い時なんか日付またぐことも多々。
やめて正解