大学時代、他人のために写真を撮る喜びをブライダルで知った
――早稲田大学の土木工学科へ進んでからも鉄道写真を撮っていたんですか。
大村 いや、浪人時代に鉄道趣味からほぼ足を洗っていました。鉄道路線の廃線だの、古くなった車両の廃車だの、お葬式みたいなイベントが多くて、行くたびに暗い気持ちになってしまったので。また、中学・高校と鉄道写真を撮りましたが、結局、どれも本に載っている写真のコピーのようで、面白みがなくなってしまいました。
鉄道写真を撮る人たちの観点は様々ですが、多くの人は自分で撮影した写真をコレクションすることが目的になっているのではないでしょうか。趣味ですから、その是非を問うのは野暮なことだと思いますが、僕も同類であることに気付き、高校を卒業するころには、違和感を持つようになっていました。
簡単に言えば、オリジナリティーがない写真をコレクションとして撮ることが滑稽だと思うようになってしまった。
――写真自体、やめてしまった?
大村 でも、大学に入った暁には、鉄道以外の被写体にも目を向けられるように写真サークルに入ろうと考えていました。ものすごく写真に興味があったわけではないのですが、カメラという道具は持っていたので、「大学デビュー」するのに、ちょうどいいな、と。
さらに、渡りに船というのでしょうか、大学入学直前にたまたま見た求人広告がきっかけで、ブライダル・カメラマンのアルバイトをすることになりました。学生ですから、アルバイトという体(てい)ですが、実際は請負契約で、お金をもらって仕事をする以上、お客様の前では、「プロ」になりました。結局、その仕事は2015年までの14年間、続けました。
――180度違う被写体を(笑)。
大村 もちろん、最初のうちは先輩カメラマンに付いて、研修したんですよ。ただ、カメラの基本的な知識は持ち合わせていたので、1カ月もしないうちに独り立ちさせてもらいました。
結婚式の写真っていうのは、上手く撮ることだけがすべてじゃない。大事なのは、その場の雰囲気を壊さず、進行を妨げず、確実に撮ることなんです。撮影技術の優れたカメラマンよりも、柔軟性があり、はきはきとした丁寧な接客ができる人材の方が、実質的な「発注者」である結婚式場側のウケもいい。
僕はコミュニケーション能力に長けているわけではなく、むしろその逆なのですが、未熟な技術力を接客でカバーしようとした結果、2年目くらいには、いろんな場面で重宝されるようになりました。式場の事前の不手際で「クレーマー」にされてしまったお客様や、堅気ではない業界の方々が多く集まる結婚式とか…(笑)。
――ブライダルの仕事は楽しかったんですか。
大村 人に喜んでもらえる仕事なので、嬉しかったですね。そしてこのとき、「他人のために撮るのが職業カメラマンだ」と気づいて、写真への取り組み方がガラッと変わりました。
鉄道写真を撮っていたころは、写真でメシを食うという発想にはならなかったんですが、「お客様がいれば職業になるんだ」ということもわかりました。
どうしても鉄道の現業を体験したかった
――ブライダル写真の経験から、プロのカメラマンになろうと思ったんですね。
大村 大学では、土木工学科の学生有志で構成された「土木研究会」というサークルにも入っていました。サークル主催の現場見学会に参加した際、写真を撮ったことで、被写体としての土木構造物も面白いと感じました。「構造物の幾何学的な造形」を写真で表現したい、と思ったんです。
当時、畠山直哉や新良太といった人工的な風景や構造物を捉えた写真家に興味があり、その影響を受けたことも大きかったです。もちろん、写真集も持っています。ただ、そういう写真はアート作品に分類されるもので、収入に直結するとは、思えませんでした。お客さんがいませんから。写真集として、売れるのであれば、別ですよ。
とはいえ、僕も大学4年のときはすでに最高で月収30万円ぐらい稼いでいました。だから、「少なくとも土日でブライダルの撮影をやっていれば、平日には、土木でも何でも自分の好きな写真を撮って食っていける」と確信が持てた。企業に就職しなくてはいけないという焦りはありませんでした。
――アルバイトで30万円! すごいですね。
大村 ブライダル写真だけではなく、駅でラッシュ時の“ケツ押し”のバイトもしていたんです。どうしても鉄道の現業の仕事をやってみたくて。大学4年のときは駅の宿直もしました。
じつは中学のころから、なんかザワザワするものがずっとあったんです。中高一貫校だったので、周りは「大学へ行くのが当たり前」という雰囲気だったんですけど、僕は物心ついたころから「鉄道の現業へ行きたいな」と思っていました。
当時の鉄道会社は、大卒は本社採用、現業には高卒で行くというのが一般的でしたから、自分にとって、大学へ進むことは「リスク」になるんじゃないか、と。
悩んで担任の先生や祖父に相談したら、「大学へ行ったほうがいい」と丸め込まれ、結局は進学したけれど、どこかでフラストレーションを抱えていました。
――それで駅のアルバイトを。
大村 そうです。だから僕、大学時代、それまでに興味があった「土木」と「鉄道」と「写真」と向き合うことで全部、精算しているんですよ(笑)。そのおかげで、自分の向き不向きがよくわかりました。仕事に変化がないと、その仕事を好きであり続けられない。仕事を好きじゃないと、仕事を続けられないと。
いつも読ませていただいております。大村さんはこういうお方でしたか。若くてびっくりしました。これから記事を読むのがますます楽しみになりました。応援しています。土木老人より。
超共感しました。。
・写真の見せ方も、ワイドレンズで下から煽れば、誰が撮っても大きくドーンと写るけど、それって嘘だよね、と。現場を知っている僕からすると、もうそういうの、コテコテすぎてちょっと耐えられない。土木の表現としては脂っこいんです(笑)。
思想に裏付けされた写真はひと味違う!
バックホーがボックホーになってますね・・・
ご指摘ありがとうございます。修正させていただきました。編集部より
日経コンストラクションを購読しているのは大村さんの記事を読むためです。
大村さんの考え方を知ることができて面白い記事でした。
大村さん、好きです。
かっこいい生き方だな
読んでたらカメラ欲しくなってきた
ゼネコンに行きそうなのにフリーを選んだのがスゴイですね。
日経コンストラクションの写真にはこのような背景があったのですね。
素敵です。
大村さん、こんなところに!
おもろい!