トンネル貫通式の笑顔に、「結婚式と同じだ」と感じた
――土木写真もすぐ仕事になったのですか。
大村 大学4年の秋ごろ、ブライダルの会社の社長から土木写真家の西山芳一を紹介され、弟子入りしました。その社長は、写真家ではなく、師匠とは中学時代からの旧友でした。
漠然と写真を仕事として続けたいというのではなく、土木に関わる撮影をしたいと、周囲に話していたことがきっかけとして、大きかったと思います。
卒論を終えた2006年2月頃から、撮影があるときだけ、師匠と一緒にキャンピングカーで全国の工事現場をまわってアシスタントをするようになりました。
最初の頃に行った現場でよく覚えているのは、愛知と富山を結ぶ「東海北陸道」の岐阜県にある飛騨トンネルの先進坑の貫通式。長さが11㎞弱あるうえ、軟弱な地山と硬い岩盤が入り組む大変な難工事だったところです。
先進坑は、2車線分の断面を持つ本坑よりも狭く、本坑の掘削に先駆けて、地質調査や水抜きを目的に施工するのもので、道路が開通した今は、避難用のトンネルとしてなっています。
初めての発破体験だったということもありますが、あのときに勝る発破はありません。作業用の横坑に避難していたのですが、貫通発破の瞬間、風ではない何か、「トトロ」みたいな得体のしれないバケモノがすごい衝撃とともに、坑口に向けて、通り抜けていったことを記憶しています。
そして、それまでの現場見学とは異なる、リアルな「土木の現場」を感じました。なにせ、いろんな困難を乗り越えて、掘削開始から貫通まで10年近くかかっていますから、現場の人たちの心の底から込み上げてくる、噛みしめるような喜び方が印象的でした。
ついさっきまで移動するのに1日がかりだった壁の向こう側に、ドラえもんの「どこでもドア」のように自由に行き来できるようになっているのです。それが当たり前になる瞬間に立ち会えたことは、一生忘れられません。貫通した穴の向こう側からトンネル坑夫さんたちが現れて、「万歳」をして。続いて、発注者。最後にゼネコンの職員。お清めの酒を振る舞われた枡は、今も大事に持っています。
このとき、関係者たちの集合写真を撮りました。皆、とてもいい笑顔で、撮影しながら「ああ、これは結婚式と同じだ。自分がそれまでに仕事としてきたことと、これからしようとしている仕事はどこか通じるところがある」と感じたことを覚えています。
いつも読ませていただいております。大村さんはこういうお方でしたか。若くてびっくりしました。これから記事を読むのがますます楽しみになりました。応援しています。土木老人より。
超共感しました。。
・写真の見せ方も、ワイドレンズで下から煽れば、誰が撮っても大きくドーンと写るけど、それって嘘だよね、と。現場を知っている僕からすると、もうそういうの、コテコテすぎてちょっと耐えられない。土木の表現としては脂っこいんです(笑)。
思想に裏付けされた写真はひと味違う!
バックホーがボックホーになってますね・・・
ご指摘ありがとうございます。修正させていただきました。編集部より
日経コンストラクションを購読しているのは大村さんの記事を読むためです。
大村さんの考え方を知ることができて面白い記事でした。
大村さん、好きです。
かっこいい生き方だな
読んでたらカメラ欲しくなってきた
ゼネコンに行きそうなのにフリーを選んだのがスゴイですね。
日経コンストラクションの写真にはこのような背景があったのですね。
素敵です。
大村さん、こんなところに!
おもろい!