「ウチのダンナを殺す気か!」と猛クレーム
――経営が苦しくても事業を続けた理由は?
市ヶ谷 2009年に、あるお客様の奥様から「ウチのダンナを殺す気か!」というクレームの電話があったんです。すごい剣幕で、社員ではとても対応できなかったので、私が直接お客様に電話で謝罪するこことになりました。
クレームの内容は「3着も買っているのに、なんで故障するんだ。ファンが止まると、暑くて地獄のようだ」というものでした。
今でこそほとんど無くなりましたが、当時はケーブルが断線することが多かったんですよ。特に建設業は動きが激しいですから。
断線してファンが止まってしまうと、ものすごい暑苦しさに襲われるんです。夏に自転車で走っているときは風を受けてそれほど暑く感じないですよね。でも、赤信号で止まった瞬間に猛烈な暑さを感じ、ブワっと汗が噴き出てくる。この感覚と似ています。
ただ、このお客様からはクレームだけでなく、「毎年夏になると7~8回、病院で点滴を受けていたけど、空調服を着るようになってから一度も病院に行かなくなった。だから頑張ってほしい」という激励もいただきました。このことが、空調服の需要に改めて気付かされる機会になったんです。
このお客様には3着購入いただいていましたが、購入者のリピート率を調べると99%以上だということも分かりました。続けていれば必ず売れるという確信を得た瞬間です。
――普及したきっかけは?
市ヶ谷 契機となったのは、先ほどのクレームから1年後の2010年に、バッテリーをリチウムイオン電池に変更したことです。
それまで、バッテリーには乾電池やニッケル水素電池を使用していましたが、3~4時間しかバッテリーが持たなかったんです。そこで、リチウムイオン電池を採用したところ8時間持つようになり、建設業界を中心に普及し始めました。今では年間130万着を生産しています。
普段着として空調服を着てほしい
――ここ数年、多くのメーカーがファン付き作業服を発表しているが、発明者としてどう見ている?
市ヶ谷 一見、どれも同じように見えるかもしれませんが、単に服にファンを付ければ涼しくなるわけではないんですよ。
中には、電圧を高めて風速を強くしている本末転倒な製品もあります。何となくそのほうが涼しそうですが、重要なのは風速ではなく風量です。
それに、ファンのエネルギー消費量は風速の二乗に比例します。つまり、風速を2倍にすると消費電力も2倍になり、バッテリーの持ち時間も半分になってしまうので、実用的ではありません。
もう一つ重要なのは、体表面と並行に空気が流れ、服の中の暖かく湿った空気がしっかりと外に排出される設計であることです。
ファン付き作業服には空気で膨らむイメージがあると思います。ですが、体表面の温かく湿った空気を排出して外気と置き換えることが重要であって、暖かい空気が服の中に滞留して膨らんでいる状態では効果がありません。空調服は流体力学に基づいた設計となっているので、必要以上に膨らみません。
――一般名詞として「空調服」という言葉が使われているのをよく見るが?
市ヶ谷 空調服は、私たちの商標ですし、特許も取得しています。私たちの特許であることを知らずに類似品を製造しているところもあるようですので、知財関係の充実を図っているところです。
――今後、空調服をどのように展開していきたい?
市ヶ谷 最近では、作業現場だけでなく、街中でも空調服を着ている方を見掛ける機会が増えてきました。
空調服は必ずしも作業服である必要はないと考えています。「カッコいい空調服が欲しい」という声もいただくようになり、今年から一般の方向けにファッション性の高い空調服の販売も始めました。いつか夏服の常識になったら嬉しいですね。
まだ空調服を着たことのない方は、ぜひ一度着てもらって効果を感じてみてください。
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元ソニーの技術者魂が感じられる素晴らしい記事でした。
自分も業界は違いますが、同じ技術者として襟を正していきたいですね。
この間、最寄り駅で空調服を着て歩いている人を見たけど、ザ・作業着って感じでした。
まだあれじゃ買えないなーと思ってましたが、いろんなデザインが増えてるんですね。
探してみよう。
フェス行ったら意外と着てる人いたわ
NHKで番組を見ましたが、特許訴訟問題に出てきたS社という会社ですが、いったい何者なのでしょうか。
関係の無い私でも、ハラワタが煮え繰り返るようで、すごく悪い物でもみたような気分です。
こんな常識のない会社を、ほっておいてはいけません、また新たな被害者が出るよう気がします。
ぜひこの会社を世間 に公表すべきです、出来れば産業界からドロップさせるべきです。
空調服は私が先に発明したはずなのにな。私が24歳ぐらいに発明した。その頃にはインターネットになかった。