今でも大事にしている現場ノートが土木技術者の原点
高校生のころ、NHKで本州四国連絡橋(明石大橋)のドキュメンタリー番組を観て、橋の魅力に心を打たれたのが土木のきっかけ。長大橋のスケールにもかかわらず、ミクロン単位の高い精度の施工管理に衝撃を受けた。「こんな仕事をしたい」と決意した。
橋梁メーカーに強い大学ということで、立命館大学理工学部に進学。コンクリート工学を学んだ。卒業後は、株式会社富士ピー・エスに就職した。
最初に配属されたのは阪神高速道路のPC橋建設現場。測量、墨出し、張出架設のポンプ操作などをこなしながら、現場経験スタートさせた。
春田さんが今でも大事にしているのが現場ノート。先輩や職人さんなどから教わったこと、日々疑問に思ったこと、失敗したことなどを書き残してある。記入した後、朝上司の机の上に置いておくと、夕方には赤字コメント入りで返ってくる。それが毎日のように続いた。
「多くの人、現場に育ててもらった」と目を細める。春田さんの土木技術者としての原点になっている。
その後、国土技術政策総合研究所(現、橋梁研究室)へ出向。長寿命化計画をテーマにした研究などに携わる。橋梁事故、不具合への対応も担当し、米国トラス橋の落橋、岩手県の祭畤(まつるべ)大橋崩落の調査も行った。
父親の病気を機に、倍率100倍の豊中市役所に転職
その後、春田さんに最初の転機が訪れる。父親の病気だ。その病状は重く、介護する必要が生じた。出張が多い仕事スタイルは介護には向かない。「親の介護があるので、現場には出れません」と言うのには、「後ろめたさ」があった。
折しも公共事業が減っていた時期で、会社では早期退職勧奨が繰り広げられていた。どうしようかと悶々としていたころ、当時、住んでいた豊中の市役所で社会人採用枠があることを知る。
「役所は休みが取りやすそうだ」という軽い気持ちで受験したところ、まさかの合格。100倍近い倍率をくぐり抜けた。
「市役所では、開発事業とか建築確認、放置自転車対策とか、ややこしい現実についても学ばせてもらった」と振り返る。
受注者を下僕扱いする発注者役人に付き合いきれなくなりコンサルに転職した者です。諸々の伝達をファクスで行う自治体、まだまだありますよね。〇〇警報1つで現場に見廻りに行き、その速報もファクスで求められました。〇庁ならメールか電話なのに。新卒もコンスタントに入っているんだし、上層部や直属の上司は、ルーキー達までも、がっかりさせるようなガラパゴスぶりを露呈させないでほしいです。
多様なキャリアを積んだ人がもっと増えれば変えられることはたくさんあると思う。
土木×IT、コンサル×公務員、デベロッパー×建築
みたいな
どの組織も上の人が成長を諦めている人がitを毛嫌いしてしまい、マンパワーでどうにかしようとする。
ほんと、若手ばかり潰されてしまってる。
建設業というよりも、今あらゆる情報を簡単にネットで調べられしかも個々をうまく組み合わせれば業務効率化が進み生産性をあげれます。やたや、最新ハイテク機器を揃えても発注金額に見合った組み合わせを建設業で起業を考える大きな理由です。