ゼネコンは「守りの広報」がメインだった

藤本義浩さん(株式会社奥村組社長室広報課長)。奥村組大阪本社にある展示ブースにて。藤本さんの隣にあるのは、漫画家の浦沢直樹さんがデザインした大阪国際女子マラソンのイメージキャラクターパネル。
――ゼネコンの多くは、一般向けの広報活動をあまりやってこなかった印象があります。
藤本 おっしゃる通り、ゼネコンのビジネスはBtoBであって、一般の消費者の方への接点が少なく、BtoCの企業に比べ、これまで積極的な広報活動をしていませんでした。このため一般の方に対するゼネコンの知名度は全般的に低いです。
ゼネコンの場合は、顧客である発注者の多くが実績などを通じて、会社のこと、技術のことなどをよくご理解いただいているプロなので、とりたてて宣伝する必要がありませんでした。ゼネコンの広報は、トラブル対応などの「守りの広報」がメインだったわけです。もちろん奥村組もそうでした。
奥村組は、大手5社に比べると、知名度が低い。当社は大阪に本社を構える会社なので、最大のマーケットである関東では、なおさら知名度が低い。知名度の低さは、当社にとって積年の課題になってきました。
知名度が低いと、まず営業競争が不利になります。マンションの世界では、施工者のブランドイメージが購入意欲につながることもあります。リクルーティング面でも、優秀な人材がなかなか確保できない。そういう課題に直面してきたわけです。
当社では、10数年前にNHKのプロジェクトXで当社が手掛けた「JR六甲道駅復旧工事」が取り上げられたり、創業100周年を迎えた際に、得意の「免震技術」をテーマに新聞広告など積極的な広報活動を実施したことがありました。
当社の知名度を高めるチャンスでしたが、その後建設業界の景気が悪くなり、広報を継続することができなくなった苦い経験があります。
「中途半端な広報はあかん」
――過去の無念があったわけですね。
藤本 そうです。2016年頃は、東京オリンピック需要などで建設業界の景気が回復する中、当社の業績も比較的堅調に推移していた時期でした。
将来的な建設投資の縮小が見込まれる中、「奥村組の知名度、ブランドイメージを上げるのは今しかない」ということで、会社として「攻めの広報活動」に転じることになりました。ちょうど私が広報課に来たときです。広報戦略の潮目が変わったタイミングで、私のミッションとして、攻めの広報をスタートさせたわけです。
――広報に来る前はどちらに?
藤本 人事課長でした。リクルーティングを通じて、会社の「知名度のなさ」を痛感していまし。この異動には「自分でなんとかしろ」という会社の意図があったのかもしれません。
ちょうど広報に来たとき、30年前に竣工した日本初の実用免震ビルである当社技術研究所管理棟の免震装置の状態を確認するため、建物そのものを振動させる実験を実施することになっていて、この実験を大きくPRすることが私の最初のミッションでした。そこで、広告代理店の力も借りて、この実験を顧客やマスコミなどに公開することにしました。
当日は、かなりの数のマスコミの方にお集まりいただき、3つのキー局のほか、新聞やネットニュースなどにも取り上げていただきました。
これには、ものスゴイ反響があって、「マスコミの力はスゴイな」と思いました。とくにテレビの発信力はスゴかったです。この成功体験を通して、広報に対する社内の理解も深まりました。会社からは「もっとメディアを活用したPRを検討しろ」という指示があり、これが私の次のミッションになったわけです。
――広報の重要性を再認識したわけですね。
藤本 それまではあまり広報にお金をかけていなかったのですが、「中途半端はあかん」ということで、「攻めの広報に必要な支出は認める」ということになりました。同業他社やそれ以外のBtoBの会社の広報活動も研究しました。どの会社も人手不足に悩んでいたので、積極的に広報活動を展開していた時期でした。
その中で、スポーツイベントに協賛すれば、一般の共感を得られるのではないかという話になりました。スポーツ自体が持っている健全なイメージ、訴求力は魅力でした。
どのスポーツにするか考えていたときに、ちょうど大阪国際女子マラソンへの協賛の話が来たわけです。それまでは日東電工さんが長い間協賛をされていましたが、協賛社を降りるということでした。
大きなスポーツイベントは決まった会社が協賛しているため、なかなか協賛社枠が空くことはないのですが、ちょうど良いタイミングで枠が空いたんです。協賛金はなかなか大きかったのですが、「これをやろう」と決意しました。
実は、私自身大学で陸上をやっていたので、マラソン協賛には前向きでした(笑)。さらに言えば、社長の奥村もマラソン好きです(笑)。
――(笑)。
OBの湊です。少し前になりますが、広報課に神流川発電所と八甲田トンネルの貫通式の写真を送りました。岡田常務執行役員さんにも神流川の写真が CMに出たことを伝えました。当時、岡田さんは橋本営業所の所長をしておられました。私の自宅から営業所は近い所にあります。又、リニア新幹線の神奈川県駅の工事をしていることもあり、後輩の岡田さんとは現役時代から顔見知りでもあり、親しみやすい人柄の岡田さんがおられ良かったです。八甲田トンネルの貫通式典では、社長さん初め皆さんの写真を撮りました。それが縁で年賀状を頂きました。ブリッジの放映、私も少し出ます。直筆で書かれていました。ホノルルマラソンのこと、奈良へ転居の知らせ。こうしてお世話になった会社の情報、TVCMが観られ幸せです。会社の発展を祈っています。