城ごとに使われている石が違う
今回の研修には、全国各地から様々な専門家が参加している。
「石工の研修生は18人で、半分は熊本県内の方です。残りは茨城、長野、大阪、香川、愛媛、佐賀、福岡の方。普段から文化財の仕事やっている方もいれば、直接携わってない方もいます。他には、設計コンサルタントや行政の文化財担当者が5人。あとは石工の講師、協議会の棟梁や文化財専門の研究者、考古学の先生などで、合計50人弱です。中には、熊本城の石垣修復に携わった講師や研修生もいます」
どういう目的で研修に来るのか。
「熊本城も含め、地元の城の復興事業に携わるためですね。すでにある技術を磨きたい方や、技術をまだ身に着けていない方が自己研鑽として来ているようです。石垣は災害で崩れなくても、膨らんできたら解体したり、網かごで抑えたりする必要があります。解体しての積み直しは最終手段ですが、新しく石垣を作るときにも使える技術です。

石積み研修の様子
また、福岡城や小倉城もそうですが、江戸時代の大半の城の石垣は矢で石を割って作られています。違いは矢や穴の大きさだけで、積み方も同じ。ここで技術を覚えれば、どこに行っても応用できるんです。
ただ、土地によって使われている石が違うので、石の質に合わせて割り方を変える必要はあります。各地で研修する意味はそこにあるんですね。たとえば熊本城は安山岩ですが、姫路城は凝灰岩で、火山灰が固まったもの。伊豆は違う種類の安山岩です。色んな石を扱えるようにならないと、汎用性のある石工にはなれないんです」
最近は各地で災害が多く、石垣の修復が必要になることが多いという。だが、石工の数は圧倒的に足りていない。
「人手不足なので、呼ばれたら全国に飛んで働いている人も多いですよ。建設会社に勤めてる方もいれば、一人親方というフリーランスの石工もいます。ゼネコンが石工を抱えてるわけじゃないので、受注したらばーっと声をかけて集めるみたいですね」
石は1日に10個積むのが限界
次に、研修に参加していた、熊本県玉名市出身の石工・中尾義輝さんに話を聞いた。中尾さんは石工だった父親に誘われ石工の道を選び、熊本で一人親方をやっているという。今年2月から6月には、熊本城の大天守・小天守の石垣修復に携わった。

中尾義輝さん(45歳)
「修復には、熊本だけでなく、大阪の石工さんも来ていました。普段は他のお城を手掛けている石工さんが来てくれて嬉しいし、頼もしかったですね。修復作業には初めて参加したので、すごく勉強になりました。初めからわかっていましたが、やっぱり大変な仕事でしたね」
実際に、どのような作業をしているのか。
「番号を振ってある図面や、崩れる前の写真を見ながら、石をはめています。たまに『この図面違うんじゃないか』ということもありますよ(笑)。石の大きさがちょっと違うとか。崩れてない石垣をあえて崩したなら、”この石”ってわかるけど、崩れてからだと本当にその石なのかもわからない。手探りの状態です」

崩れた石垣
現場では大阪や長崎の石工も含め、三組ほどで作業したという。石を加工する組と積む組に分かれて交代しながら作業をしていたというが、どちらが体力的にきついのだろうか。
「どっちもどっちなんですが、加工ですかね。石を積んでいく段階で、どうしてもない部分が出てくるんですよ。石がないと次が積めないんで、いかに速く間に合わせるか。急がないといけないんで、プレッシャーがあります。
図面に書いてあっても、なくなった石が実際はどんな大きさなのか、わからないこともあるんですよ。現場で残った石だけ並べていって、空白部分の上に石をクレーンで吊って、その空白に紙を当てて型をとることもあります。その型紙を加工さんに渡して『すみません、至急で!』ってお願いすることもあるんですが、加工にはかなり時間がかかります」

クレーンで石を持ち上げる
そのため、1日で作業ができる量は、かなり限られてるという。
「結構少なくて、進んでも10個積むくらい。間詰石(大きな石の隙間に詰める小さな石)も、ある程度大きいものには番号が振ってあるんですよ。だから図面通りに、後で石が動かないように注意しながら詰めていかないといけません。細かいので、どれがどれかわからなくなっていることもあります。なくなった間詰石は、新しいものを作って後で詰めています」
石工のお仕事に関して以前より興味を持って関連の記事を見ていました。熊本城の修復に関しての記事も興味深く拝読いたしました。
というのは、うちは大阪ですが、家も周りも石垣で囲まれていて、今でも前ほどではないですが、残っています。
今回近所からのプレッシャーで完全に取り壊す事になり、新しいフェンスにすることになりました。
非常に残念です。また、何よりも石を捨ててしまうのが勿体なく、修復現場などで使うことはできないかとネットで探していたら、記事に出会いました。