アイディアマン社長の暴走
建設会社は同族会社が多い。同族のメリット、デメリットについては、都内のある建設会社の社長はこのように解説する。
「同族会社は社内での団結力が強く。いい時は、いい。代表が経営判断を間違えず、本業に専念すれば決して悪いようにはならない。しかも、奥井建設は公共事業が中心で安定していたから。悪くない会社だったと思う。それが破産に至ったのも別の要因があったのではないか」
その”別の要因”とは一体どのようなものであったか。それを理解するには、奥井建設とともに奥井家の歴史を紐解く必要がある。
奥井建設は、奥井柳三氏が戦後間もない時期である1947年4月に建築工事業を個人創業したことに端を発しており、1955年1月に法人化された。その後、奥井善太郎氏が代表取締役に就任し、高度成長時代とともに建設業が伸長したことは周知の通りだが、奥井建設も都営住宅、学校建築、一般住宅の新築・改築・耐震工事などを広く請け負っていた。

奥井建設が施工した住宅
しかし、同氏が死去し、一時的に善太郎氏の妻が代表取締役に就任するも、辞任。甥のM氏が代表取締役に就任し、長く舵取りを行っていた。
「代表就任した頃、建設景気は不況が続いていたことで運が悪かったと思う。しかし、当初は業容も拡大していたと聞いている」(前述の都内建設会社)
M氏は建設業界での経営で驚くべき奇手を打ち出したことでも知られている。M氏の友人が東日本大震災の被災地である岩手県山田町出身であったこともあり、被災地の復興事業に関わるため、国土交通大臣許可を取得し、復興事業に取り組んできた。一時的には、受注を有利にするため、登記上の本社を東北に置き、東京・東北の2本社制を採用するなどのアイディアマンでもあった。
とはいえ、東北の復興も一段落していることから、2018年1月に実質本社が置かれている東京江東区に移転し、東北本社も廃止し、東北の拠点から撤退することになった。その後、東京都内の受注に注力する方針を示したばかりの倒産であった。
そのM氏だが、顔が広いことでもよく知られていた。奥井建設だけではなく、特定非営利活動法人国際科学技術協議会清真会館を設立し、代表理事に就任。ほかM氏は一級建築士の資格を取得するほか、現在は公益財団法人OK-U&I財団の理事長に就任しており、趣味の空手人脈もある。
同時に建設会社の経営よりも、芸能関係やビジネス、空手等のスポーツ、政治家の支援活動に傾注するようになり、奥井建設から資金が次々と流出することになった。さらに、工事全体の管理も緩み、赤字工事も頻発した。
建設業界にとっては政治家との付き合いは必要であるとともに一方、鬼門であるため、「ほどほどにすべき」と指摘するのは都内の建設会社の社員Aだ。
政治家との関係が深まると恐ろしいほど現金が流出する実体験を語る。というのも、政治資金パーティー券の開催により、政治家の秘書は、1枚2万円の政治資金パーティー券を各会社・団体に売り込むことはよく知られているが、一度付き合いができると「10枚くらいお願いしますよ」と懇願されてもむげに断れなくなる。
さらに会社の社員も選挙活動に使われるため、社員の疲労度も高まると力説する。メリットがあればまだ良いが、パーティー券を購入しても得られるメリットは少ないというのがこのA氏の言葉だ。政治家との付き合いを深めると本業が疎かになる怖さがあるという。
うちのクソ社長に読ませたいお
経営できなくせにクソとか言っちゃってみっともないお
飲み屋ばかり行って女口説いて、仕事もしなきゃつぶれるよな!
一度でいいから豊満経営してみたい
部下に自分の事をBOSSとか呼ばせていた輩なのです
ジャイアン
正直ここダメだなと思ったがやはり、って感じ 潰れるべくして潰れた