「半タコ状態」でも面白かった国土交通省・係長時代
――土木に関心を持ったきっかけを教えてください。
八木 私は神戸市出身で、阪神大震災の時に高校1年生でした。テレビの中の、普段通っている阪神高速道路が横倒しになっている光景がとても強く印象に残っています。
気になって調べてみると、阪神高速道路を建設して維持管理するのは土木工学だと。それが契機となって興味を持ち、土木工学科のある大学を受験し、そのまま土木工学の道に進みました。
――国土交通省を就職先にされた決め手がありましたか。
八木 インフラの建設の前段階である計画や設計を決められる点に魅力を感じました。国土交通省の一番の魅力は、自分の意志を公共事業も含めたインフラのあり方に反映させることができ、自分の社会貢献の結果が直接的に目に見えるところです。
――入省されてからはどんなお仕事を?
八木 国土交通省には、計5年在籍していました。初年度は、本省大臣官房で主に土木系の技術調査を担当していました。そのあとの2年間は東北地方整備局一関出張所で河川改修工事の現場監督、酒田河川国道事務所の道路管理課で積算や利害関係者との協議を行っておりました。
本省に戻ってからは道路局と港湾局にそれぞれ1年在籍し、道路局ではITSを、港湾局では港湾法の防災関連の法改正を主に担当しておりました。国土交通省の土木技術系の人事は、若手に幅広く経験を積ませた後に、自分の意思で将来の専門分野を選択させる方針を採用しており、若手はほぼ全員が1~2年で異動を繰り返していました。
――激務でしたか。
八木 肉体的にも精神的にもかなり厳しいものでした。特に最後の港湾局の1年は港湾法改正作業を行いながら通常の係長としての業務も行うという、霞が関用語で「半タコ(半分タコ部屋)」と呼ばれる状態での激務でしたので、非常に厳しいものでした。ただ、今の自分があるのはあの時の5年間があったおかげと感謝しています。
――仕事としてのやりがいはどうでしたか。
八木 やりがいは非常に大きかったです。特に、日本の社会インフラ整備に関する全ての意思決定過程を総攬することができるのは大きな魅力です。それに、情報処理能力や文書作成能力、何より利害調整能力や日本的なバランス感覚といったものをOJTで身に着けることができ、短期間で急速成長することができます。
――国土交通省の中での働き方はどうでしたか。若いうちから責任ある意思決定や政策立案ができるという印象があります。
八木 それは間違いないと思います。一般的に、業務に関する具体的な意思決定や政策立案を行うことができるのは、本省であれば課長補佐からです。本省の課長補佐だと20代後半から30代前半ですので、民間企業と比べるとそれでも若いと思われるかもしれません。
しかし、外資系の戦略コンサルティングファームでは、20代であっても最上位のパートナーまで上り詰めることができますので、決して若過ぎるということは無いと思います。
――係長の時は、具体的にはどのような業務を?
八木 係長の主な仕事は、課長補佐の下で、自らの担当分野に関する莫大な情報から、意思決定や政策立案の判断に必要となる情報を選別・分析・評価して上司に報告するとともに、関連省庁等の利害関係者の間で調整を行って、意思決定や政策立案に関する合意の素地を作ることです。
私自身も、道路局と港湾局の係長時代は、自分の担当業務の範囲でそのような仕事をしておりました。国土交通省では、技術系職員は技官という肩書を持ちますが、少なくとも霞が関では、事務系職員である事務官と仕事の内容は全く同じです。
「私は技術者ですから法律や経済のことは分かりません」という類の言い訳はここでは全く許されません。当時の上司からは、「係長は自分の担当する業務範囲に関しては、その内容が何であろうと、この国で一番詳しくなければならない」と常に指導されていました。
課題は山積みだけど、それを改めて確認出来た当連載は良かったと思います。
土木学会も変わるべき。
いかにも頭良さそう