談合事件後、まず「社風」を変えた
――ミタニ建設工業に戻ってからは?
剛平 取締役としてミタニ建設工業に入社した翌年に取締役社長になりました。それから3年後に代表取締役社長になっています。取締役の頃は「全体を見ろ」ということで、とくに担当はありませんでしたが、完成検査などに立ち会うことが多かったですかね。
建築の方は何も知らなかったので、設計事務所発注者に怒られたこともありました(笑)。
社長になったのは、完成検査のためでした。社長という肩書きがあると、重みが違うということで(笑)。別に社長になりたかったわけではありません。社長になったのは、ただの成り行きです。

ミタニ建設工業社屋
――談合事件後、会社の何を変えようとしましたか?
剛平 一言で言えば、働き方などの「社風」ですかね。談合事件の直後は、社内に「今後どうやってやっていくんだ?」という動揺が生じました。1年7ヶ月間という長期の指名停止処分が下ったので、われわれ経営者だけでなく、社員とそのご家族も心配されていました。何人かの技術者は会社を去りました。
そんな状況の中で、社員と意識、時間を共有することに力を入れたわけです。具体的には、毎月社員の誕生日会を開いたり、社員の奥さんの誕生日に花束を贈ったり、お子さんの誕生日に図書券を贈ったりする取り組みを始めました。
社員の育て方は、子どもの育て方に似ている
――社員を大事にする会社にシフトしたと?
剛平 どんな経営者も口先では「社員が大事」と言いますが、実際には、時間やお金を社員のために使っていなかったりします。
ウチも、指名停止を食らうまでは、「経営者は会社の方向性を出すだけ」の会社でした。「それで本当に社員を大事にしていると言えるのか」ということですね。社長として、それを変えたということです。

社員の誕生日会の様子/ミタニ建設工業
もともと私の考え方には、合理的なところがあって、「仕事は前に進めてナンボ」という考えを持っていました。社員も同じ考えを持つことをのぞみながら、会社経営してきました経緯があります。その後、いろいろな経営者の話を聞き学び、私自身が大きく変わりました。
社員には、仕事以外の運動会や山登り、誕生日会などの社内イベントにも出席してもらって、会社の価値観を共有する社員を増やしたい思いがあります。内定者には、入社までの毎月、内定者研修を行っています。会社に溶け込んでもらうのが目的で、同期同士の結束を固めてもらう狙いもあります。ここ数年間、自分のスケジュールを組むときには、社員の誕生日会などのイベントを優先するようにしています。
社員との関わり方と自分の子供との関わり方は、似ていると感じます。頭ごなしに怒るのではなく、ちゃんと認めてやって、自分で挑戦できる環境をつくる必要があるという点で。「あれしたら怒られる、これしたら怒られる」という環境では、人は成長しませんからね。
公共工事は「与えられたエサを食べている」状態
――民間工事に本格的に進出したのも、談合事件以降ですか?
剛平 そうですね。そういうきっかけがなければ、民間の土木工事を手がけることはなかったでしょうね。
指名停止中は、宮地電機株式会社さんと組んで、太陽光発電工事などをやってきました。公共土木工事がメインだったウチにとって、民間工事への進出は大きな「賭け」でしたが、うまく軌道に乗りました。
われわれ経営者、社員にとって、「結果を出した」ことは、大きな自信になっています。本業以外での交流、つながりがあったのが、大きかったですね。
公共工事メインのころは、水槽の中にいて、与えられるエサをパクパク食べているような状態で、社員の意識も低いものでした。民間工事をやり始めて、いろいろなところにアンテナを張って、「あそこの土地が余っちゅうぞ」とか「ここを造成したら、面白いぞ」とか社員の意識も高まりました。
社員の間には「創業者である三谷家は絶対だ」という空気があったのですが、それにとらわれず、社員が自主性を持って、自ら考え自ら動くように、会社を持って行っているところなんです。
ずいぶんイケメンやなぁ
こんな会社、建設会社だけど入りたくなりました!
大手ゼネコンより魅力を感じます。
21歳 土木系学生
たしかに私もこういう会社なら働いてみたいです建設業へのイメージが変わりますね
普通の会社にしたい
何気ない一言だけど、これが建設業界にとってどれだけ難しいことか
おもしろかったし、別に批判では無いが、普通とは人それぞれだということを勘違いしてはいけない。
だが、確かに学生時代に部活に打ち込んできた体育会系は頭を使うことが苦手なやつが多い。個人競技のやつは、独断先行する傾向があるが。