公認会計士を辞め、友人の建設会社へ
――河田社長とは、大学からのお知り合いで、その縁で加和太建設に来たんですね。(※参照記事はこちら)
川合弘毅 そうですね。大学ではクラスが一緒でした。私自身、三島で暮らしたことがあったので、すぐに仲良くなりましたね。河田社長から「ラクロスやろうぜ」と誘われて、ラクロス部に入部して、部活も一緒でした。
大学の同級生には、高校のときに学級委員などのリーダーをやっていた人間が多かったのですが、その中でもリーダーになる人間がいたんです。それが河田社長でした。しかも、河田社長のあだ名が「リーダー」でしたね(笑)。
――その後、川合さんは公認会計士として働いていたと。
川合 私は就活の際、「こういう仕事をしたい」というのは、特にありませんでした。ただ、世の中にはリーダーシップを取るのが得意な人たちがいるので、その人を支える仕事が良いかな、自分に合っているんじゃないかなという思いはありました。
たまたま経済学部だったので、「数字まわりでも見るか」という安直な気持ちで、とりあえず三井住友銀行に就職しました。働き始めたら、自分に合わなくて(笑)。「集団の中の一個」としているのが苦手だったので、10ヶ月で辞めました。
その後、公認会計士になる勉強をして、新日本監査法人(現・EY新日本有限責任監査法人)で6年ほど働きました。
――河田社長とはいつか一緒に働きたいと思っていたのですか?
川合 そうです。河田社長とは大学生のときに「一緒に仕事しよう」と約束していました。社会人として働きながらも、「いつか河田社長と一緒にやりたい」と思い続けていました。
あるとき、たまたま河田社長と飲みに行ったんです。その3年前に河田社長は加和太建設に入社していました。そこで、「まだ一緒にやる気持ちはあるの?」と訊いたら、河田社長が「あるよ」と言ったんです。
「じゃあ、監査法人辞めるよ」ということになって、実際に監査法人を辞めて、加和太建設に入社しました。8年前の話です。
――建設会社で働くことに抵抗はなかったですか?
川合 河田社長と一緒にやれるなら、なんでもOKという感じでした。仮に河田社長が全く違った事業をやっていたとしても、一緒にやっていましたね。ただ、両親には反対されました。「会計士の資格まで取って、なんで建設業なの?これからダメになる業界なのに」と。先輩からは「地方の建設会社に行って、ちゃんとコミュニケーション取れるの?」と心配されました。
それまでは、いわゆるホワイトカラーと呼ばれる集団の中にいたので、ギャップを心配してくれていたのだと思います。それに、奥さんには黙っていて、監査法人を辞めてから話したら、すごく怒られました(笑)。
――思い切った決断でしたね。
川合 周りからはそう見えるでしょうが、私にとっては既定路線でした。特に不安もなく、「どうにかなるだろうな」という感じでした。
権力を振りかざす世間知らずの勘違い野郎どもは本当に消えていただきたいです。