コンサル時代は発注者をナメていたが…
——受注者から発注者になると、ずいぶん世界が変わるのでは?
片山 変わりましたねえ。オリコン時代は、発注者のことを若干ナメていました(笑)。ただ、自分がその立場になってみると、受注者が知らないところで、いろいろと大変なことがあることを知りました。
——お役所仕事もそれなりに大変だと。
片山 そういうことです。「なんという面倒くさい仕事をちゃんとやっているんだ」と思いましたね(笑)。福北公社は、福岡県や福岡市、北九州市などの出資で成り立っている組織なので、意外とギリギリにヒトもカネも節約してやっているんです。何から何まで自分でしなければならないことに驚きました。ただ、現場監督から議会答弁まで、いろいろ経験できて楽しかったですけどね。
——技術畑だけではなかったんですね。
片山 最初は、国や市などとの事業調整を行う部署に配属されました。その後現場に出て、堤〜野芥間の建設工事現場の監督をしました。設計に行ったときは、管理者として設計を担当しました。先ほどお話ししたメンテナンスを担当する部署では、予算や計画をつくりました。首都高速道路株式会社に短期出向したこともあります。最後は新線をつくる部署にいました。トータルで12年ぐらいいましたね。
——給料は下がりましたか?
片山 はい、ビックリするぐらい下がりました(笑)。求人には「給与は経験年数・実績を考慮する」と書いてあったので、「それなりにもらえるだろう」と思っていたのですが、オリコン時代の3分の2になりましたよ(笑)。「うっそやろ〜」とおったまげましたねえ(笑)。でも、仕事が面白かったので、「まあ、いいか」と思うようになりましたけど。
——福北公社の仕事はやりがいがありました?
片山 ありました。広範囲の仕事ができるのが魅力でしたね。一つひとつの仕事の「濃さ」はコンサルの方がありますが、範囲は狭い。それなりの濃さを持った仕事をいろいろ経験できたのは、大変勉強になっています。世の中を学べましたね。もし、福北公社に行かなかったら、ずっと調子コイてたまま生きていたかもしれません(笑)。いろいろなことの見方が変わりました。
例えば、国土交通省の方々とも一緒に仕事をする機会もあったのですが、こんなに働いている方々を初めて見ましたよ。「『居酒屋タクシー』ぐらい許してやれよ」とか思いましたもん(笑)。ホント、「いつ寝てんだ?」っていうぐらい働いてますよ、彼らは。
首都高速に出向したのも良い経験になっています。当時、私は利用者のことを「エンドユーザー」と呼んでいました。コンサル時代から私にとっての「お客様」は国、県や市でした。首都高速では車を運転する方々を全員が「お客様」と呼んでいました。これが普通なんですが、私にとっては新鮮でした。「誰のためにつくるのか」ということについて大きな気づきを得ましたね。
「関係者全員が喜ぶ政策はない」ということも知りました。例えば、都市高速を新たにつくれば、便利になって喜ぶ方々がいる一方、不利益を被る方々、地域も出てくるものなんです。インフラ整備には「良い面悪い面両方ある」ということが腹に落ちました。
志は素晴らしいけど、まだ全然伝わってないですよ。
周りで知ってる人、会ったことないです。
聞いたことないwww
まさに、井の中の蛙。