経営が悪化した有迫組に社長として移籍
――まずは有迫組の紹介を。
久永社長 有迫組は戦後まもなく設立された建設会社で、高度経済成長期以降、主に造成工事などの土木工事を手掛けてきました。近年は、国土交通省の仕事が中心になっており、電線共同溝や下部工、改築などの工事を請け負っています。5年ほど前から建築の仕事にも力を入れています。鹿児島県内での仕事がほとんどで、完工高は7〜8億円程度です。従業員は30名で、技術者は21名います。
――久永社長のキャリアは?
久永社長 鹿児島大学で建築を学んだ後、鹿児島市内の別の建設会社で土木の仕事に30年ほど従事していました。工事現場だけでなく、開発行為などもやってきました。その後、会社経営に携わっていました。
――有迫組に来たのは?
久永社長 10年ほど前、有迫組の経営状態が悪化していました。経営の立て直しというとおこがましいのですが、私に声がかかったので、有迫組に社長として移籍したわけです。
社内の「厭世感」払拭のため、トイレ掃除から始める
――有迫組の社長として、何に力を入れてきましたか?
久永社長 第一に「人づくり」でしたね。私が有迫組に来たときには、先代社長のころからのベテラン社員や重機オペレータなど45名ほどの社員がいました。リストラは一切せず、定年の65歳で退職してもらい、一方で少しずつ新しい社員を採用してきました。
――人づくりには時間がかかりそうですが。
久永社長 そうですね。人づくりは根気のいる仕事です。余裕のある会社であれば、人を切って、新しい人をドンドン採用すれば良いでしょうけど、会社の財務が厳しい状況では、なかなかそれもできません。
そんな中で、私が一番苦労したのは、「いかに社員にヤル気を出してもらうか」ということでした。私が来たころは、社内には「厭世観」のような雰囲気がありました。社員の中には技術的には良いモノを持っている者もいるのに、それがうまく活かせないようなところがありました。
それで、少しずつ社員の気持ちを変えていく努力をしました。最初は、どこから手をつけて良いかわからなかったので、トイレの掃除から始めたんです。
――それはシンドイことですね。
久永社長 ええ。でも、今は楽しいですよ。今思えば、「前向きに仕事に取り組む」という気持ちが足りなかったんです。当時は、建設業界を巡る環境が厳しくなり始めたころだったのもあったと思います。一般競争入札から総合評価方式に変わったのもそのころです。会社の内外ともに手探り状態でした。
重機のオペレーターなどは、当社では技能者と呼んでいます。2019年11月から、技能者の給料を年俸ベースの月給制にしました。労務単価が上がった分は上乗せしています。取り組みとしては、ちょっと遅いのですが。
人材育成。勉強になります。