修士号取得のため、アジア工科大学に入学
――青年海外協力隊で国際協力の面白さに目覚めたわけですね。
ドイル恵美さん そうです。ただ、青年海外協力隊はあくまでボランティアだったので、物足りないところがありました。もっと責任のある、大きな仕事がしたかったので、JICAで専門家として働きたいと考えるようになりました。
ところが、そのころは学士しか持っていませんでした。JICAで働くためには、最低限、修士号が必要になります。それで、タイにあるアジア工科大学の修士課程に入りました。クラスメイトは多国籍で10カ国ぐらいいたでしょうか。全寮制で、毎晩夜中まで図書館で一緒に勉強をしたり、グループ課題に取り組んでいました。とても楽しかったですし、各国に散らばった今も強い友情で繋がっています。そこで、交渉力も鍛えられましたね。
修士課程修了前に、JICAの経済基盤開発企画調査員として任用されました。ちょうどJICAとJBIC(国際協力銀行)の統合の時期で、インフラ関係の仕事が一気に増えた頃でした。工学系かつ英語で交渉可能な女性は、当時JICAには少なかったからでしょうか、運よくポストを得ることができました。
――海外で大変だった思い出はありますか?
ドイル恵美さん 幸せの国ブータンの後、インドに赴任したときの話です。着任して数日後に、現地技術者10名が日本に来ることになっていたのですが、出発直前になって、大臣が「日本には行かせない」と言い出したのです。ビザの関係で日本大使館にお願いにいったり、大臣に直談判しに行きました。
結果的には、出発の2時間前になってOKが出て、無事日本には来たのですが、このときは本当に眠れないほどドキドキしましたね(笑)。ただ、こういう大変な事態になればなるほど、脳にアドレナリンが出るんです。いろいろな対策を考えて、それがうまくいったときの快感は例えようがないです。強いて言えば、「ゲームみたいな感覚」ですかね(笑)。
建設の世界は、海外も男社会
――京都大学の博士課程に進んだ理由は?
ドイル恵美さん 建設の世界は、日本に限らず、男社会です。年配の方も多いので、女性だとなかなか「戦えない」のです。海外でも、交渉の場に出たときに「お前、女なんだから黙っていろよ」みたいな雰囲気は必ずあるんです。名前を呼ばれるときも「Miss」、「お嬢さん」って感じですね。この歳でも(笑)。
ブータンにいたとき、博士号をお持ちの女性技術者の方とご一緒する機会がありました。彼女は現地政府の高官だったのですが、周りの男性の対応が明らかに違っていたんです。名前を呼ぶときも、ちゃんと「Dr.」を付けていました。
「やっぱり博士号がないと、対等に付き合えないかな」と思い、一念発起して京都大学の博士課程に入学しました。博士課程ではコンストラクション・マネジメントを研究したかったので、日本で第一人者である小林潔司先生がいる京都大学を選び、結果的にはアカウンタビリティ論で博士号を取りました。
すごい方がいらっしゃるんですね。同じ女性として感動しました!