元請け&1次下請けの「実質的関与」問題
「案の定、掘れる段階ではなかった。結局、人海戦術で乗り切ろうと手掘りとなったんです。小さいミニバックホゥと一緒な扱いにされたよ。
そんな状況に呆れて、事前に調査して判明しなかったのか?と元請けに聞きました。そしたら『聞いてなかったですし、過去の図面も無かったのでわからなかったです』とのことだった。
結局、作業が3日~4日で終わるはずの仕事が、13日間もかかり、別件の他の仕事に影響しました。そして、頭にきたのが『悪かった』の一言もなかったんです」(直井氏)
・・・都内では中小様々な現場があり、問題を解消できずにやりすごす時もある。
主に2次、3次で工事現場を請け負う君津,テクノ(株)代表取締役 直井良一氏は現場でオペもこなし汗もかく。直井氏の風体は金髪。しかし、氏は建設業に従事する前は広告代理店の社長として、一時は年商25億の経営成績を収めていた経緯もあったという。
そんな異業種における契約も多数締結したご経験から、建設業の元請負人及び1次下請けの「実質的関与」について問題があると憤りを隠せずにいた。
中小企業における経営の難しさ
――いいパツキンですね!
直井氏 いいでしょ? なんか気分も明るくなるよ。ここのところ嫌な仕事ばっかで頭きてたからさー。
…いやいや、いままでは普通の黒い髪の毛で仕事してましたよ。
――建設業の前にも、他の業種で社長をされていたんですよね?
直井氏 そうなんです。広告代理店を28期やりましたね。雑誌に企業の広告を出稿させていくのですが、社員25名くらいで年商25億くらいはあげていましたね。
そのころは、投資とかいろいろ儲け話や新たなビジネスを持ち掛けてくる人がたくさん寄ってきてね、俺もいろいろ手を出して金も出したけど、ほとんど失敗したね。今思えば、あのころ稼いだお金は使わないで留保すればよかったなーって思いますよ。
そして、人々が雑誌を購入しなくなり、売上も徐々に減っていき出版不況になりました。会社も傾いて広告代理店は辞めましたが、倒産させなかったからホントにきつかったです。
――それで、建設業に入られたのはいつ頃でしょうか?
直井氏 今から20年前からですね。この君津,テクノ(株)という会社の前任の社長から「社長やらないか?」って言われて。その会社はもともと、君津市の新日鉄の工場内での請負仕事をしていた会社でしたが、私が就任してから定款変更し、今は土木工事がメインになっています。最初は解体業の仕事を主にしていました。木造からRCの4階建てくらいまでかな?ハウスメーカーやゼネコンの2次~3次くらいのポジションで良く乗りましたよ。
――オペもされるのでしょうか?
直井氏 はい。操縦は得意なんですよ(笑)。広告代理店の時からジェットスキーの選手もやってたから操縦するのはすきだし、オレ、上手いほうだと思う……。なんちゃって(笑)。
でもね、解体の仕事の利率が下がってきたの。今までは3万円/m3くらいの単価だったかな。でも、それより下回る現場がたくさんでてきて。ホントね、安かったら解体なんてやってられないよ。
結局「一喝」してないやさしさ。
現在は技術者不足で断る案件が増えてますね。
記事内の写真って・・・事務所内?!
俺が知る限りは、だが2020年4月1日過ぎたら住宅でもないなら原則喫煙所等以外で喫煙禁止でしょ
かっこつけのために持っただけって可能性もあるが、まあ、そもそもそういった法規知らなそう
李下に冠を正さず
こんな言葉あるんだから、わざわざやからみてーな格好しないでビシッとすれば、、無理ですか?