土木から足を洗う悔しさ
――まず、土木を志したきっかけを教えてください。
本当はカッコいい建築に行こうと思っていました。高校の進路指導の先生が、大学の1年目は土木も建築もやることは一緒だからと、当時は少し偏差値の低かった土木を勧めてくれました。現役で合格するとは思っていなかったので、気軽に土木に変更しました。自分の興味が一区画の中に建てる建物ではなく、面的に広がる街や、もっと抽象的な街を構成する制度のようなものだと途中で気が付きましたので、土木を選んでよかったと思います。
――就職先としてシンクタンクを選ばれたのは?
研究と名前のつく仕事をしたいと思っていました。大学には残れないと言われたので、シンクタンクを目指しました。シンクタンクのうち、そもそも採用試験を受けさせてくれ、さらに総合職で採用してくれる可能性のあった会社の中で、最初に内定を出してくれた会社に決めました。
――女性第一号だったと伺いました。
ちょうど各社で女性第一号の総合職を採用するかもいう時代でした。私が入った会社でも研究職に女性の新卒を受け入れることになりました。私の同期には3人の女性が研究職で採用され、私はそのうちの一人でした。

東京工業大学 研究員、土木学会ダイバーシティ推進委員会 前・幹事長、土木技術者女性の会 運営委員の山田菊子さん
――それまで女性がいない職場だったわけですが、職場の雰囲気はいかがでしたか。
女性に対する偏見というのは、会社にいる身近にいる人からはあまり感じなかったです。「終電まで一本勝負!」と23時から飲みに行ったり、一緒に徹夜したり、明け方に大量の会議資料をコピーしながら愚痴りあったり…。楽しく過ごしました。
――シンクタンクの業務自体はいかがでしたか。
学生アルバイトや派遣社員のアシスタント、外注先の方を率いるリーダーとして仕事を体験しました。世の中がどう動いているのかの一端を知ることも出来て、とても楽しかったです。
ただ、体力がついていかないとは感じていました。ここでは言えないくらい残業も多くて…。夜中にタクシーが会社の前に列を作っているような時代でした。
――そこで辞められるきっかけは何でしたか。
お給料も良かったし、職場で一緒に働く方々も面白い方ばかりでした。でも、体力的に続けられないかも…と思っていたところに結婚することになりました。
女性研究職の新卒採用第一号として鳴り物入りで入社するにあたり、大学の先生、会社の上司などの皆さんが色々と骨を折ってくださっていました。下手な理由では辞められません。当時会社には結婚退職という制度がありました。そう何度も使えない結婚退職というカードをここで切ろうと決めました。
――面白い職場と仕事。大変勿体ない気がしますが。
とにかく体力的に持たないと思いました。睡眠時間も極端に短かったですし。
――ご結婚以外にきっかけはありましたか。
実は入社直後の上司との面談で、「うちの会社に女性のキャリアはない」「君は将来的に部下を持たない仕事の仕方を考えてくれ」と告げられました。がっかりしました。それ以来ずっと、漠然と将来への不安をもっていました。この時期、社内の他の部門では初めての女性の海外駐在事務所長や、プロジェクトマネージャーが出現した「女性活躍のほのかな兆し」の時代だったそうです。新入社員の私には、自分に関わりのあることとは思えなかったんですね。
――私のために女性のキャリアパスを作ってくれ、というお考えにはなりませんでしたか。
その時は、第一号として求められる役割、つまり「ドアを開けてもらうこと」を果たすだけで精一杯でした。今では笑い話ですが、独身寮に入れて良いか、ひとりで国内外の出張に行かせていいか、女性もちの名刺を特別に作るか、お茶くみ当番をさせるか等で真面目な議論もありました。
最後の頃には結婚した女性の同僚が旧姓使用を巡って苦労する様子を目の当たりにしました。内線番号表は戸籍名を載せるものだ、そして内線番号表に掲載される名前が会社で使う名前であり旧姓は使えない、と。それに抵抗して苦しむ彼女を見るのはとても辛いことでした。
そういう諸々のうちいくつかの課題は片付けました。片付ける気合を持って第一号として入ったわけですけれど、辛い経験が積み重なると、例えば結婚とか他の仕事のオファーがあった時に、辞めるという選択肢が現実的になってきますね。第一号の方で今も続けている方は本当に大変だったと思います。お話しされないけど、すごく辛いこともあったのではと想像します。
――その当時は土木業界以外もそのような雰囲気があったのでしょうか。
同期の2人の女性研究員も、大学時代の友人も、多かれ少なかれ同じ状況でしたので、土木だけではなかったと思います。
――それまでのキャリアを捨てることに悔しさはなかったですか。
それは悔しかったです。修士課程修了の時に大学に残れなかったのも悔しかったのですが、自分の意思で仕事を諦めるには、言い訳が必要でした。だから、もう土木はいいやって自分に言い聞かせました。